こんにちは。ゆかです。
今日は内観しまくりの1日。
(ノートを6ページ書いてたことに驚き。。。)
というのも、私は学ぶことが大好きなんだけど
なぜ学ぶのか?ということを考えたことがなくて
もともと好奇心が強いというのはあるけど、
他にも何か理由があるんじゃないかって思ったから。
だから考えてみた。
そしたら出る出る。
<私が学び続ける理由>
- 夢中になるものが欲しい
- 何かを学んでいないと遅れをとりそうで落ち着かない
- 学ぶことで自分が悩んでいることに対する答えを知りたい
- 自分にスキルがないから何かスキルが欲しい
- 今の自分を変えて自信がつけたい etc...
これを見て、いつも“今”の自分を認められていなかったということに気づく。泣
「成長するには現状に満足してはいけない」と言うけれど・・・
学びに対するメンタリティが
今の自分に全然満足できないから学ばないと!と
今の自分もいい感じだけど、もっと詳しくなりたいから学びたい!
だと、後者の方がより前向きに学び自体を楽しめそう。
そう、学ぶことそれ自体=プロセスを楽しむことが大事だ。
同じ「学ぶ」という行為でも、それぞれの今に対する自己認知や自己価値がまったく違う。
私は残念ながら、ずっと前者だった。
いわゆる欠乏感でやっているから、本来の望みとはズレていたりして
学ぶ途中からそれに興味がなくなったり(笑)
無事に学び終えても、変わらず自信はないまま。
アウトプットをするほど情熱的にはなれず。
変わりたくて学んだのに、変われてないやん!泣
みたいなことが起こる。
学び自体は確かに知識となり、決して無駄にはならないけど
本当の自分の望みは満たされるはずなかったんだなと気づく。
本当の望み・・
それは単に
誇れる自分になりたかった。
自分のことを好きになりたかった。
だから、スキルなんていう装飾をしないで
さっさと自分を好きになればよかったなって。
自分を好きになるって、まるごと受け止めること。
嫌な自分もダメな自分も
あ〜あるね、こんな最低な自分も。
それくらいでも認めたら少しは気持ちもマシになる。
自分の嫌な面もたくさん見つけて
でも同じくらい好きな面も見つけて♡
結果オーライ!
外側のもの(学歴、美貌、スキル、年収、結婚)で自分の価値を判断していると
何も装備していない本当の自分からは
どんどん遠ざかっていることに気づかなければならないよね。
外側に価値を求めれば求めるほど、
欠乏感で自分にたくさんの鎧を着せなくてはいけなくなるから。
いつしか人生の生きる目的が鎧集めになってしまうかもしれない。
私たちはいつだってそのまんまで価値があるから。
だからこうして存在している^^
だけど、こんだけ言っておいてなんだけど(!)
結局学びそのものは私にとっては欠かせないことだから
(今は欠乏感より知的好奇心が満たされまくり)
これからもいっぱい学び続けるつもりです。
プロセスを楽しめると最強説^^